スピリチュアル死について見えない力

来世はあるのか?人は死んだらどうなる?輪廻転生の8つの説をスピリチュアル好きな筆者が解説!

「人は死んだらどうなるのか」、人類における永遠テーマとも言えるこの疑問を、誰しも1度は考えたことがあるのではないでしょうか?前世の記憶を持っている人がいたり、死後の世界を見たことがある人がいたりと、そのことを裏付けるような証言も世界では散見されます。

今回は、そんな「来世はあるのか?」という疑問にまつわる輪廻転生の説をスピリチュアル好きな筆者が解説していきます。生まれ変わりや来世に興味のある方は、ぜひ最後までチェックしてみてくださいね!

そもそも「来世」とは何か?

image by iStockphoto

来世とは、死んだ人間の魂が新たな肉体を得て生きる「次の人生」のことを指します。仏教における過去世・中世・来世の三世の1つです。分かりやすく言えば「生まれ変わり」で、死後の世界とその後を表しています。形は違えどインドのヒンドゥー教や、キリスト教などにも存在し、さまざまな国で信じられている概念です。

死後の世界がないと考えている現実主義の人々や、死生観の異なる宗教に所属している人々にとっては存在しない概念ですが、昨今では科学的・医学的な研究も進められています。世界中には前世の記憶を持っている人がおり、その事実が生まれ変わり、つまり「輪廻転生」を肯定しているのです。

死後に輪廻転生という概念が存在するのであれば、おのずと来世も存在するものとなりますよね。このことから、来世に関する議論や研究は現在も繰り広げられています。私たち日本人に馴染みのある仏教では来世の存在を認めており、その死生観には次の世を生きるための行いや備えも組み込まれているのです。

三世(または三際:過去世・現在世・未来世を表す言葉、概念。過去世は今世を生きる前の一生、現在世は今生きている一生、未来世は死後生まれ変わって生きる一生を表しています。

来世に関係する「輪廻転生」とは

来世が存在することに大きく関わってくる「輪廻転生」は、魂は何度も生と死を繰り返していくという生まれ変わりの概念です。インドのヒンドゥー教(バラモン教)から生まれた考えで、のちに仏教を含む複数の宗教に取り入れられました。一方でインドでは輪廻転生の中に永久不滅の「我」があると考えているのに対し、仏教では不滅の「我」や「魂」はないと考えられています。

一方で仏教と同じく日本に定着している「神道」では、人は死後自然に還ると想定しており、輪廻転生を認めていません。人は死後、氏神となって自分の血縁者を守るとされています。さらに仏教に存在する極楽浄土のような華やかな死後の世界は存在せず、死は絶対的な恐ろしいものとして忌み嫌われているのも神道の死生観の特徴です。

魂はさまざまな世界に生まれて自分を磨く

輪廻転生で生まれ変わる魂は、さまざまな世界を経験すると言われています。来世は現世で成し遂げられなかった魂の研磨を続けるために与えられるものなので、苦労が付きつきまとうことも少なくないのです。そして生まれ変わる世界は主に、鉱物界・植物界・動物界・人間界・天使界の5つだと考えられています。

六道に少々矛盾する考えですが、この5つの世界で魂は順番に磨かれていくという説が存在しているのです。つまり生まれ落ちる世界は自分の魂のレベルにあった修行場と考えると良いでしょう。

今世から来世に持ち越すものがある

輪廻転生を繰り返す私たちの多くは過去世の記憶を持っていませんが、過去世は私たちの今世に影響を与えていると考えられています。過去世の記憶がないことは普通であり、決して悪いことではありません。しかし、過去世で繰り返していた悪い癖が今世でも繰り返されたり、過去世のカルマが今世の成長のヒントになったりすることがあるのです。

つまり、何も問題がない時に過去世を知る必要はありませんが、人生を大きく変えたい、困難を乗り越えたいと考えている時に過去世か持ち越すものをヒントにすることは非常に有効的な手段と言えます。過去世で行った悪事がカルマとなって今世に残っている、過去世の生活の癖が今世に残っているなどを知ることで、対処法を見つけて今世をコントロールできるようになるのです。

次のページを読む
1 2 3 4
Share: