日本神話や日本書紀から神の存在を知る
神様が本当にいるのか?は、日本神話や日本書紀にこそ証があるのではないでしょうか。神様がどう誕生したのか、天地の始まりや今住んでいる世界がどう造られて来たのかも分かります。
神様がいなければ、一体人はどう生まれたのでしょうか?この世はどうやって出来たのでしょうか?降って湧いた?そんなことはあり得ませんよね。さあ神様がいる証を辿って行きましょう。
日本神話や書記による神様の誕生
天と地が分かれて出来た天界の高天原に一柱が現れたと書かれています。それが雨之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)です。その神様を中心にして外に向かう様に現れたのが高御産巣日神(タカミムスビノカミ)と神産巣日神(カミムスビノカミ)の二柱。この三柱を「造化三神」と呼びます。つまり最高神と言うことです。いずれも独神として成っており、そのまま身を隠してしまったと言う。
後に雨之御中主神は至高の神。後に高御産巣日神は創造の神で男女の結びの男を象徴とし、神産巣日神も創造の神で男女の結びの女を象徴します。
後に宇摩志阿斯訶備比古遅神(ウマシアシカビヒコヂノカミ)と天之常立神(アメノトコタチノカミ)が現れ、この五柱は「別天津神」と言われるようになりました。
ここから、八百万の神と言われる沢山の神々が誕生します。
天地の始まり
天地の始まりは天地開闢(てんちかいびゃく)と言います。はるか昔、渦を巻いていたような状態で天と地はまだ分かれておらず、陰と陽もはっきりとしていませんでした。それを無名無為の状態と表現したり、混沌としていたと言う表現をしたりします。本当に何も無い時。
あるとき「くくもりてきざしふくめり」…外部からははっきりとはそれとは分からないが何かしら兆しの様な状態があり、渦を巻いていた状態の何も無かった空間の中の清浄なものは天に。重く濁ったものは地となり天と地が出来たのです。
そして神様も生まれました。
人の誕生
人の誕生に関しては、あまり明記されていないと言うのが正直な所です。日本人の祖先は葦の芽(植物の芽や根)と古事記はとらえていますが、前述の別天津神のウマシアシカビヒコヂノ神(立派な葦の芽の男神)が祖先とも言われています。
どちらにしろ重要なのは神がいなければ人間はいなかったと言うことになるでしょう。
住んでる世界・日本の存在
天と地が分かれたとき、天界=高天原、地上=葦原の中の国、冥界=黄泉の国と呼ばれるようになります。まだ日本と呼ばれていなかった葦原の中の国は、まったく栄える気配が無かったそうです。
伊弉諾尊(イザナギノミコト)と伊弉冉尊(イザナミノミコト)によって沢山の神様が誕生し、その誕生したそれぞれの神が役割や力を与えられ日本と言う国を統一して行くことになります。
これもまた、神と言う存在が無ければ日本は無かったと言えるでしょう。
聖書からの神の存在を知る
日本はあまり馴染みのない聖書かもしれません。聖書には旧約聖書と新約聖書があり、この2冊の違いは、旧約聖書はユダヤ教徒キリスト教の共通する教義や信仰の模範となる事が書かれている正典で、天地創造や授けられた掟等が書かれており、新約聖書はキリスト教のみの正典で旧約聖書と新約聖書を合わせて1冊の聖書とし、旧約聖書を古い契約、新約聖書はイエスキリストによる新たな契約が書かれている書物とされています。
主(創造主)の存在
聖書やキリスト教と言う宗教で欠かせないのは主である創造主の存在です。主がいなければイエスキリストも存在しなかったでしょう。
この創造主と言うのは、世界や生命、人間を創造したと言われる神で、一神教では唯一神と言える存在。無から有を生み出した者と言われています。創造主がいてこそこの世界が造られ、生命が造られ、人間も造られ、結果すべて神の働きによってこの世があると言うことです。