絶望を受け入れることと拒否すること
私達は絶望と向き合う場合、大きく分けて2つの心の反応があります。1つ目は絶望自体を拒否すること。例えばこれは会社で1つのミスをきっかけに立ち位置が不安定なものになってしまったある人は、会社に行くことができなくなってしまいました。この人の心の中では「会社」という安心だったはずの場所でミスしたことによる「危機」がおとずれます。結果として、「危機」とセットになってしまった「会社」に行かない、ということでその絶望を回避するようになりました。
そしてもう一つは絶望を受け入れることです。「夜と霧」では次のような言葉を紹介しています。
スピノザは『エチカ』のなかでこう言っていなかっただろうか。
「苦悩という情動は、それについて明晰判断に表象したとたん、苦悩であることをやめる」
(『エチカ』第五部「知性の能力あるいは人間の自由について」定理三)
しかし、未来を、自分の未来をもはや信じることができなかった者は、収容所の中で破綻した。
(出典:夜と霧 V・E・フランクル)
絶望を受け入れるということは、ミスをした時に「ああ、なんであんなことしたんだろう」と原因を求めてその場にうずくまることではありません。失敗や困難を受け止め、この先でどうするか対策を講じることをいいます。絶望を前にしたときこのような2つの反応が私達に起こりうるのです。
絶望を受け入れることで見えてくる世界とは?
ぞれでは絶望を受け入れることとは何なのでしょうか?絶望を受け入れることはズバリ未来を見据えること。つまり、失敗したという事実つまり過去に囚われてその場から動けなくなってしまうのではなく、失敗という事実から学び未来をより良くするために何をするのかを考えることが受け止めることなのです。
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