呪いとはどんなもの?
呪いは「のろい」と読むのはもちろんのこと「まじない」とも読みます。
呪いは人や霊が悪意を持って、物理的な手段を用いることなく精神や霊的手段で、社会や個人を対象に災いや不幸、不運、病気等をもたらす行為を言い、悪意と言うのが呪いの要因になっている場合が多いのでとても質が悪いでしょう。
物理的な手段を用いないため、どの地方・地域にいる人に対しても自ら移動することなく実行させることが出来ます。
呪いの代表格・丑の刻参り
日本で呪いと言えば「丑の刻参り」が有名ですよね。でも、意外とはっきりとしたことまでは知らない人が多いのではないでしょうか。一体丑の刻参りの丑の刻とは何時なのか?どこから発祥したのか?等を知ることから始めて行きましょう。
丑の刻は今の時間で何時?
丑の刻とは、今の時間で言うと午前1時~午前3時頃になります。この時間の中でも午前2時~午前2時30分までの間は「丑三つ時」と言われ、古来日本では時間の表示を「延喜法」と言われる「十二支」で24時間を示しており、その時の言葉です。
丑三つ時は「草木も眠る丑三つ時」とも言われ、人や自然界の生き物、草木も眠っている時間で最も幽霊等が出やすい時とされています。ですから、幽霊を見たくない方は、この時間までには眠った方が良いでしょう。逆に幽霊を見たい方は、この時間がお勧めですよ。
丑の刻参りの歴史と貴船神社
丑の刻参りとは、呪いを成就させるために、丑の刻に神社の境内の木に呪う相手に見立てたわら人形の心臓部分に五寸釘を打ち込む呪いの儀です。もちろん人に知られてはいけませんし、見られてもいけないと言われています。
貴船神社には貴船の神様が降臨した「丑の年の丑の月の丑の日の丑の刻」に参詣すると心願成就すると言う言い伝えがあったので、そこから呪詛の場に転じてしまったのだろうと言うことです。
丑の刻参りの原型は、宇治の橋姫伝説とされています。橋姫は夫に浮気をされ、嫉妬した相手を取り殺す為に貴船神社に「憎い女を取り殺したいので、生きながら鬼にしてください」と願いました。橋姫は貴船の神様から「21日の間、宇治川に身を浸かれ」と神託を受け、それを実現することができ、結果、実際に鬼女となって妬む相手や縁者を男女問わず呪い殺したそうです。
丑の刻参りの正式な恰好
丑の刻参りの恰好は、橋姫伝説の橋姫が宇治川に身を浸した時の恰好が元になっているようです。
その姿と言うのが「髪を松やにで固めて五つの角を作り、顔や体を赤く塗り、頭には鉄輪を被り、松明を口に咥える」これがその時の姿なのでした。
後に「怪談」に登場するような丑の刻参りの作法が完成したのは江戸時代になってからと言われており、「白装束を身に着け、顔には白粉を塗り、髪は下して乱れ髪、頭には五徳を被りそこに3本のロウソクを立てて火は点け、一本歯の高下駄を履き、首から鏡を下げ、口には櫛を加える」と言う恰好になりました。
陰陽道による呪いとは?
陰陽道とは陰陽寮で教えられていた天文道、暦道、占い、時等のひとつです。平安時代には陰陽道は頭角を現し、政治に取り入れられることもありました。陰陽道の陰陽師は冠婚葬祭などの吉凶や方角、相性等の占術を始め、呪術等も行っていたと言うことです。
陰陽道の歴史
陰陽道は古代中国の自然哲学思想や陰陽五行説を起源としています。発祥は仏教と道教が伝来した古墳~飛鳥期と考えられており、陰陽五行説の概念を基にして天文学や暦学、易学などの自然哲学等を付随し、神道や仏教、道教等様々な宗教の影響を受け日本で独自に発展させた呪術や技術体系になって行ったそうです。