キリスト教と仏教の考え方の違い
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日本では信仰の自由が認められており、キリスト教や仏教、イスラム教などさまざまな宗教を信仰している人がいますよね。ただ日本では、人生において特定の宗教を信仰していない無信仰の人が増えているといわれています。そのためいろいろな宗教の考え方が混同されているといえるでしょう。とくに自殺した人は成仏できるのかという問題に関する考え方は、キリスト教と仏教では大きく違っているといえるでしょう。ここでは、世界的にも信者が多いといわれるキリスト教と仏教での考え方の違いについて詳しく解説します。
キリスト教では自殺は罪!
一般的にキリスト教において「自殺は罪」とされ、天国へ召されることができないとされているようですね。ただイエス・キリストが処刑されてしばらくは多くの殉教者が出ていたといわれています。これを憂慮した神学者アウグスティヌスは4世紀ごろ、旧約聖書のモーゼの十戎の中にある「汝殺すなかれ」を根拠として自殺は神に与えられた命を自ら断つ行為であり、この教えに反するとして「罪」であると提唱しました。
キリスト教は「父の愛」といわれるように少し厳しい愛情を持った宗教といわれています。そのため神から与えられた「命」を自分の都合で短くするという行為は許されないこと。キリスト教では、神の教えに背いたとされる自殺者は罪を犯したことになります。
仏教では自殺は罪ではない!
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仏教には多くの宗派がありますが、そのほとんどで自殺を否定も肯定もしていないようですね。また仏教の中には、即身仏という考え方がありますよね。いわばこの修業も見方を変えればお坊さんの自殺行為ともいえるのではないかということなので、自殺を完全に否定することはないといえるでしょう。
仏教は「母の愛」といわれています。仏教は、すべてを暖かく包み込むような教えといわれており、そのため人の死に方が自殺であれ自然死であれなくなった方はすべて成仏できるという考え方があるようですね。さらに来世で人間に転生できるといわれていますよね。
自殺した人が成仏できることが難しいといわれる3つの理由とは?
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世界では毎年約80万人が自殺しているといわれています。現代社会はお金などの経済的な問題や人に相談できないなどの心の問題などから自殺し、自ら命を絶つ人が増加しているともいえるでしょう。では、自殺した人は本当に成仏できないのでしょうか?スピリチュアルな世界では、成仏できないといわれることもありますが、私は自殺しても成仏できると考えています。ただ、現世での苦しみがかなり強く様々な問題を抱えていたために成仏するためにはとても時間がかかるといえるでしょう。ここでは、自殺した人が成仏することが難しいといわれている3つの理由について考えてみます。
理由1・自殺したことを後悔するから
自殺した人は、自分の命を絶ったことを後悔することが多いそうですね。やはりこの世に残してきた両親や配偶者、子供などの悲しみを感じることがあるからでしょう。また、やり残したことがあるのかもしれませんね。この世に未練が残ってしまうと成仏するためには長い時間がかかってしまうといわれています。
また、苦しみや悲しみから逃れるために自殺をしたとしても苦しみや悲しみから逃れることができないことに気付くからかもしれませんね。
理由2・自らを死に追い込んだ精神状態が続くから
自殺した人は、自殺したときの精神状態のまま肉体がなくなり思念(霊)だけの存在になってしまいます。霊になってしまっても自殺したときの精神状態が続いていますのでパニックに近い状態となり、落ち着いて自分自身に向き合うことができないといわれていますよね。
成仏するためには自分自身に向き合い、冷静に自分自身を見つめなおすということがとても大切といわれています。自殺したために落ち着いて自分自身に向き合うことが難しい状況が続いてしまうことで成仏するまでに時間がかかるといえるでしょう。
理由3・苦しみや憎しみ、悲しみが続いているから
自殺した人は、何らかの苦しみや憎しみ、悲しみを心に抱えています。その思いが強ければ強いほど自殺したことによってその苦しみや憎しみ、悲しみは数百倍にも数千倍にもなって自殺者に襲い掛かってくるでしょう。その重さと重圧は繰り返し自殺した人に襲い掛かってくるためにその辛さに耐えることができなくなることがほとんどなので成仏することがとても難しくなってしまうのです。
また、自殺したときの憎しみや悲しみが強ければ強いほど恨み辛みとなり静かに自らと向き合うことなどできるはずがありませんよね。この憎しみや悲しみの重圧のために自分の思念と同じ波長を持つ人に災いを起こしてしまうこともまれにあるといわれていますよ。ただ自殺した人の霊がすべて悪霊となって関係のない人にとりついてしまうわけではありません。