理由1子孫繁栄・真っ直ぐに伸び多くの新芽をつけるから
竹は地下茎でつながっており、その旺盛な生命力で次々と新しい芽が出てきます。また竹は一年中緑を保ち、まっすぐに空に向かって伸びていますよね。その様子から多くの子孫が残るようにという願いを込めて子孫繁栄を意味するといわれています。しなやかに強い風を受けながら立ち続ける竹は、力強さを感じさせますよね。
理由2タケはとても成長が早いから
タケは「雨後の竹の子」ということわざでもわかるように、急激に成長する植物として知られています。「あら、タケノコが出てきた」と思ってもすぐにタケに成長してしまうほど生育がとても早いといわれていますよ。また強い風や重い雪にも耐えてまっすぐに空へ伸びていく姿から自らの志を曲げないということも意味しているといえるでしょう。タケはその成長力を讃えられており、室町時代から縁起がいいといわれる由縁と考えられます。
ウメは縁起がいいといわれる理由
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ウメはマツやタケに比べると日本に渡来したのが奈良時代といわれており、かなり遅いといえるでしょう。ウメが日本に渡来したとき、マツやタケは日本にすっかり根付いており、自生していたといわれています。なかなか日本に縁起物として根付かなかったウメですが、江戸時代にはマツやタケと同様に縁起物とされるようになったそうですよ。ここではウメは縁起がいいといわれるようになった理由について詳しく解説しましょう。
理由1ウメは極寒の中でも美しい花を咲かせる
ウメは奈良時代後期に日本に渡来したといわれています。太宰府天満宮にある菅原道真をしたって都から飛んできたといわれる飛梅は有名ですよね。ウメは日本に縁起物として定着するまでに時間がかかったといわれています。それは日本への渡来が遅く、一部の貴族などによってその栽培が独占されていたことに起因するともいえるでしょう。
江戸時代になると徳川幕府がウメの栽培を推奨するようになりました。その理由はウメの持つ生命力の強さ。ウメは米を作ることができないくらいやせた土地でもきれいな花を咲かせ、実をつけることができたのです。江戸時代になってウメは、ようやく一般庶民が楽しむことができる存在になったといえるでしょう。
冬の最も寒いといわれる時期に美しい花を咲かせるウメ。マツやタケと同じように寒さに耐えて毎年美しい花を咲かせるウメに、力強い生命力を感じたことでしょう。ウメが縁起物として松竹梅のひとつとなったのは一般庶民がウメを栽培するようになった江戸時代と考えることができるでしょう。ただウメの栽培に関しては江戸時代に書かれた公式な記録が存在するわけではないようです。
理由2ウメは漢方薬などに使われていた
ウメはその花を観賞するだけではなく、ウメの実を漢方薬の材料としても使用していました。漢方薬として使用するときは、梅の実を燻製にしていたそうですよ。また、貴族たちは梅干しとして健康増進のためによく食べていたそうです。
梅干しが広く知られるようになったのは、やはり江戸時代から。一般庶民の食卓には欠かすことができない食べ物として広く愛用されるようになったといわれています。花は目出てよし、実は食べてよしということで縁起物のひとつになったといえるでしょう。ただウメがなぜ縁起物になったのかという公式な記録は残っていないようです。
松竹梅は現代でもお祝いの席に使われる大切な縁起物
松竹梅は、現在では縁起物として広く知られていますよね。とくにお正月には欠くことができない縁起物になっています。また日本料理などのグレードやクラスを表示する言葉としてもよく使われていますが、店舗によっては「梅」が最高グレードのこともありますよ。本来は中国から伝わった松竹梅も現代ではすっかり日本の文化のひとつとなっているといえるでしょう。