おまじないスピリチュアル見えない力

祟りと呪いの違いとは?日本の3つの祟りと世界で最も恐れられた2つの呪いもスピリチュアルな世界に詳しい筆者が解説!

祟り3・崇徳天皇の祟り

崇徳天皇はわずか3歳で天皇となっていますが、政争に巻き込まれわずか19歳で政治の実権を握ることなく退位させられました。崇徳院となっても政権への未練は残っていました。力を持っていた鳥羽上皇の死後、再び実権を握るために後白河法皇らと戦うことになります。これが保元の乱といわれる戦いでしたが、この戦いに敗れた崇徳院は四国の讃岐に流されました。

崇徳院は、戦いに敗れた後すぐに出家しましたがその罪は許されませんでした。当時は、皇族が戦いに敗れても出家すれば罪に問われることがなかったので、崇徳院の場合は異例ともいえますよね。崇徳院は四国で写経し心静かに過ごしていました。5本の写経を京都の寺へ納めようとしましたが送り返されたことに憤慨し、怨霊となったといわれています。

世界の最も怖い2つの呪い

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世界にも日本の3つの祟りと同じように言い伝えられている有名な呪いがありますよね。そのなかでもとくに知られている「ツタンカーメン王の呪い」「ウィンチェスター・ミステリー・ハウスの呪い」の2つについて解説しましょう。

世界の呪い1・ツタンカーメン王の呪い

ツタンカーメン王の呪いは王家の谷で盗掘を免れひっそりと眠っていたツタンカーメン王が、1922年11月26日に約3000年の眠りから覚めたことから始まったといわれています。王の墓が発掘された後、ツタンカーメン王の墓の発掘に関係した人が次々に亡くなってしまいました。最近ではこの呪いはマスコミに作られた都市伝説といわれていますが、その死因がわからない事例があることも確かといえるでしょう。

世界の呪い2・ウィンチェスター・ミステリー・ハウスの呪い

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ウィンチェスター・ミステリー・ハウスという家を知っていますか?この家はアメリカの国家歴史登録財として現存しています。この家はアメリカでも有数の幽霊屋敷として知られていますよ。

ウインチェスターは、代々アメリカで銃を製造していました。そしてウインチェスター製の銃は、多くの人々の命を奪ったといわれています。この屋敷の持ち主であったサラ・ウインチェスターは1866年に娘アニー1881年に夫を亡くしたことは、ウインチェスター銃で亡くなった人々の呪いがかかっていると信じ、その呪いから逃れるために屋敷を改築し始めました。そしてこの屋敷の改築は、サラがなくなるまで続いたといわれています。

屋敷の中はまるで迷路のよう。地図がないと目的の部屋にたどり着くことができないといわれています。サラが建設し続けたこの屋敷は、建設中から幽霊の目撃が絶えなかったとか。それはウインチェスター銃によって亡くなった人々の亡霊と信じられていました。

穏やかな心で過ごすことが大切

祟りや呪いは、すべて人がかかわっていると考えられます。科学的には証明できないのですが、人の心によって祟りや呪いが起こるかもしれません。現実には考えられない事象も人の気持ちに大きく左右されるといえるでしょう。恨みや憎しみでは人は幸せになることはできませんよね。人間として私たちはいつも穏やかな心で過ごすことが大切ですね。

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