忌み子と呼ばれていた子供とは?
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「忌み子」に使われている「忌み」という言葉は、宗教色が強く本来の意味は神に対するときは身を汚れないように清め物事を慎むという意味でした。その後平安時代ごろから避けなければならないこと、不浄、けがれなどの意味をさすようになったといわれています。
このことから「忌み子」とは不浄の子、関わり合いを持ちたくない子、疎ましい子を意味すると考えられるでしょう。また、親からも周囲からも待ち望まれて誕生したわけではなく、親をはじめとした周囲の人々の愛情を受けて育つことがなかった子ともいえますよね。
忌み子と呼ばれた子供たちの3つの特徴とは?
忌み子と呼ばれる子供たちの特徴には3つあります。ここでは忌み子と呼ばれる子供たちの双子以上で生まれた子供、望まれないで生まれてきた子供、他とは違う特徴を持つ子供の3つの特徴について詳しく解説しましょう。
忌み子の特徴1・双子以上で生まれた子供たち
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忌み子と呼ばれる子供の特徴の最初は、双子以上で生まれた子です。歴史的に日本では、双子以上で生まれた子供は「忌み子」として一人を里子に出すか殺していたようですね。通常一人の子供の出産が一般的であったため、双子以上での出産は忌み嫌われたのでしょう。また、貴族や武家などでは相続問題に発展しかねないことからとくに不要の子として排除されていたようですね。
一般庶民の間でも双子は忌み子として淘汰(とうた)の対象となっていました。それは、貧困にあえぐ庶民には多くの子どもを育てる余裕もなく、大切な労働力のひとりである母親の命を脅かす可能性があることが要因のひとつといえるのではないでしょうか。
忌み子の特徴2・親が望まなかった子供たち
忌み子は、両親や家族・周囲の人々に望まれなかった子供という意味もあります。通常は、子どもが欲しいという気持ちを持って妊娠・出産に臨みますよね。でも、なかには妊娠までの過程に何らかのトラブルがあったことで、両親や周囲の人々に望まれずに生まれてくる子供がいます。また、思いもかけず妊娠してしまったにもかかわらず、中絶などの処置をする費用や知識がなく生んでしまった子供なども忌み子といえるでしょう。
忌み子の特徴3・違う特徴を持った子供
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日本は、島国で江戸時代の鎖国政策によって国外との接触が極端に少ない国でした。そのため、無意識に他を排除しようとする傾向にあったといえるでしょう。障がいを持った子供やハーフの子供など見た目が違うということだけで排除しようとする傾向にあったのは日本が形成してきた歴史にひとつの要因があるのかもしれませんね。現在では、日本でもグローバル化が進み、ハーフの子供たちや障がいを持った子供たちが多方面で活躍しているため、彼らを忌み子とは言えないですよね。
また、アフリカでは黒人でありながらアルビノという染色体の突然変異で生まれてきた子供たちを「神の怒り」の表れという解釈で忌み子として扱っているという歴史があります。確かに黒人でありながら白い肌という外観はうとまれる要因となったといえるでしょう。
歴史の中の忌み子とは?
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日本における「忌み子」の歴史は大変古く、忌み子と考えられる最初の記述は「古事記」にみられるといわれています。歴史の中で忌み子はどのように記述されているのでしょうか?ここでは歴史上の忌み子と考えられている水蛭子(ひるこ)・小碓命(ヤマトタケル)・結城秀康という人物について解説しましょう。
忌み子の歴史1・水蛭子という最初の神様は忌み子?
古事記の記述によると水蛭子(ひるこ)は伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)との間に生まれた最初の子供でした。しかし、水蛭子は手足がなく障がいを持った子供だったのです。水蛭子の誕生を不吉な前兆と感じた二人は葦の船に水蛭子を乗せ、川に流してしまったという言い伝えでした。障がいを持った子供は忌み子という考え方がみられるようですね。