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四国のおすすめ縁切り神社・寺院ならここ!3つのパワースポットで開運しよう!スピリチュアル好きの筆者が大解説

最近なぜか不調が続く…という人はいませんか?理由がわからない不調は、気持ちが悪いですよね。そういった原因不明の不調は、縁切り神社とよばれる強力なパワースポットを参拝し、ご祈祷を受けることで解決する場合もありますよ。ここでは、四国で縁切り神社といえばここ!となるオススメの縁切り神社・寺院を3選、スピリチュアル好きの筆者が大解説します。心身のリフレッシュにも最適なので、興味のある方は、是非足を運んでみてくださいね。

四国の縁切り神社・寺院は開運効果絶大!

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四国には強力な縁切り神社・寺院が多数存在しています。中には一度参拝するだけでも効果絶大と称される神社もあり、定期的に訪れるようにしている人もいるほどです。それらのパワースポット神社は、商売繁盛や縁結びといったパワースポットに足を運んでも、全然運気が上がらない…という人に非常におすすめ。

不要なものがいっぱいに詰まった箱には、新しい物も入る隙がありませんよね。新しい運気を呼び込む前に、まずは不要なものが詰まった自分自身という器を綺麗にしましょう。自分自身が綺麗になるだけでも、運気は上昇するので、縁切り神社・寺院を参拝した後、縁結び神社といったパワースポットをお参りすると、良縁に恵まれ更に飛躍するでしょう。

日本一社の邪気払いで縁切りといえば賢見(けんみ)神社

徳島県を代表する観光名所、かずら橋の近くに鎮座しているのが縁切りのパワースポットとして人気の賢見(けんみ)神社です。地元では「けんみさん」の愛称で親しまれており、応仁天皇・素戔嗚尊(すさのおのみこと)がご祭神。古くから縁切り・病気平癒・家内安全などのご利益をいただける場所として知られていますが、賢見神社は日本にある神社の中でも、「邪気退散」のご利益が強力なことで、近年注目を集めるようになっています。

この邪気退散は不要なものを取り払う=不要なもとのと縁を切ることから、縁切りのご利益を求めて、連日賢見神社を参拝する人が後を絶ちません。

邪気払いは犬神憑きが元

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賢見神社の邪気払いのご利益は、四国地方に伝わる「犬神憑き」というものが元です。犬(狗)神憑きの犬とはペットのような動物ではなく、人に取り憑き不幸を呼ぶ動物霊のことを示します。古くから犬神憑きになると、高熱や手足の震えなど、理由名が不明な不調が多く説明不明な病が引き起こされることから、それを払うお宮として賢見神社は信仰の対象となっていたのだとか。

生きていれば様々な経験をするもの。現代でも、原因不明の不調に悩む人はいます。そのような人が賢見神社を参拝し、ご祈祷していだだいた後、回復したという人が多くいることから、病気平癒や自分自身の悪習(ギャンブル・たばこ・浮気)などとの縁切りのご利益を頂ける場所として有名になりました。

ご祈祷とお守りがおすすめ

賢見神社を参拝した際にはご祈祷と腕輪を授与していただくのがおすすめ。賢見神社に伝わる独特の祝詞で行われるこのご祈祷こそが、犬神憑きを払うためのもの。賢見神社のご祈祷は非常にエネルギーが強く、中にはご祈祷中に叫びだし、ご祈祷が終わるとケロっとして帰宅する人もいるそうです。また、古くは邪気払いの際、使用している金弊が何度も折れたことがあるという逸話も伝わっていますよ。賢見神社を参拝した際に、受けないわけにはいけないご祈祷ともいえるでしょう

ご祈祷と同じく、賢見神社で授与して頂ける「腕輪」も非常にスピリチュアルな力が強いもの。シンプルな水晶にワンポイントで勾玉が組み込まれている腕輪は、邪気払いの効果が高く、災難が降りかかる際には勾玉が割れ身代わりになってくれるといわれています。

<詳細情報>

住所:〒779-5306 徳島県三好市山城町寺野112
電話番号:0883-86-1322

日本最強の縁切りの神様を祀る白峰宮

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白峰宮は京都で有名な縁切り・縁結び神社の「安井金比羅宮」と同じ、日本最強の縁切りの神様といわれる崇徳(すとく)天皇を祀った神社です。白峰宮は、明治維新以前は「崇徳天皇社」という名前だったため、地元では「てんのうさん」の愛称で親ししまれています。

ご祭神である崇徳(すとく)天皇は、壮絶な人生を送った天皇であることで有名です。しかし、人を愛する気持ちを忘れず、自分のような目にあう人がいなくなるようにと、縁切りのご利益を持つ神様となったと一説にはいわれています。また、白峰宮は、その崇徳天皇が亡くなられた地でもあり、非常に強いパワースポットとなっていますよ。

崇徳(すとく)天皇とは

ご祭神である崇徳(すとく)天皇は、菅原道真・平将門と同じく日本三大怨霊とよばれる内の一人で、百人一首に選ばれるほど和歌の才能にも優れた人物でした。第75代天皇であった崇徳天皇ですが、父である鳥羽天皇と非常に折り合いが悪かったため、弟である後白川に天皇の地位を譲ることになります。そのため、鳥羽天皇が崩御した後、後白川派と崇徳派の派閥争いである保元の乱が勃発。

しかし、後白川上皇に敗れた崇徳天皇は流罪となり、讃岐国にある金毘羅(こんぴら)さんに籠ります。そこで一切の欲や未練を断ち切り、豪族に助けてもらいながら仏教や武芸に励んだ人。現代からすると素晴らしい人格者ですが、周囲に理解されず怒った崇徳天皇が、自分の舌を噛み切って流れ出た血で「日本国の大魔縁となり、皇を取って民とし民を皇となさん、この経を魔道に回向(えこう)すと誓文書きつづったことが、日本三大怨霊といわれる由縁となったそうです。

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